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NEXYZ.Group「社名の変化」37年史

こんにちは!
NEXYZ.Group公式 採用note編集部です!

弊社「株式会社ネクシィーズグループ」は、
2024年1月に社名を「株式会社NEXYZ.Group」に変更いたしました。

社名変更の記事はこちらからご覧いただけます。

「NEXYZ.(ネクシーズ)」の由来は、「The next of XYZ」

26文字あるアルファベットの最後の3文字「XYZ」。
「これ以上良いものはない、究極」といった意味があります。

その「XYZ」を越えてその先を⽬指していく。
そんな究極の挑戦⼼を表現しています。

今回のnote企画では、NEXYZ.グループの37年の社名の歴史を振り返り、当時の事業やエピソードにも触れながらお伝えしていきます。

会社の歴史を知るクリエイティブ課部長に、入社2年目の私がインタビューいたします。

初めてNEXYZ.グループを知る皆さんも、これからNEXYZ.グループの採用面接に来られる学生さんも、この記事をぜひ弊社の歴史を知るきっかけにしていただけますと嬉しいです!

それでは、早速まいりましょう!

【人物紹介】

社歴22年 クリエイティブ課 部長・執行役員
浜田 龍太郎

広告デザイナーを経て2002年に入社。
以来、社長と二人三脚で会社を表現するクリエイティブ責任者。

社歴2年 クリエイティブ課
T

2022年入社。
制作スタッフ。クリエイティブを日々研究中。

インタビュースタート!

T:本日はお時間をいただき有難うございます!
どうぞよろしくお願いいたします!

浜田:こちらこそよろしくお願いします。
今日のインタビューのために、書棚にしまっていた資料を取り出してみました。

向かって左:浜田部長 右:T

T:こうして並べてみると壮観ですね。

浜田:30年以上の歴史がありますからね。
それでは、早速始めていきましょう。

T:はい!よろしくお願いいたします!

会社の始まり

T:では、始めに会社の創業の頃についてお話をお伺いいたします。

浜田:創業時の話ですね。私も中途入社なので、社長のこれまでを漫画化したコミック『DREAMS』やコーポレートサイトに載っている会社沿革に沿ってお話します。

NEXYZ.グループの歴史を紐解く参考書として、ぜひ読んでみてください!
▼ マンガ『DREAMS』はこちらから読めます!

まずは創業者である近藤社長が高校を2度中退、アルバイトを始めるところから歴史が始まります。

欲しかった車を買うためにアルバイトを頑張って、ついに念願叶って買うことができました。

ですが、運転中にレースを申し込まれて受けた結果、納車からわずか17時間で廃車になってしまいました。
手元には220万円の借金が残りました。

T:いきなりすごい話が来ましたね💦
浜田:そうですね。でも、このエピソード無しに歴史は語れません。
220万の借金があったからこそ、社長は頑張れたのです。

借金を返さなければいけなくなり、社長はなんとか就職して訪問販売での仕事を始めます。

その仕事はダイヤル式の「黒電話」をプッシュ式の電話機に切替えてもらう「訪問営業」の仕事でした。

給料は契約が取れたらもらえますが、取れなければゼロ円という、完全歩合性の厳しい条件で、社会人の第一歩を踏み出しました。

この経験から何かを掴んだ社長は、父親からの勧めもあってこの仕事で起業しようと決意しました。

社名を「日本電機通信」と命名します。

日本電機通信

1987年、19歳、大阪で創業しました。
事業内容は引き続き、黒電話からプッシュ式の電話機への切り替え事業です。

20歳の誕生日に営業拠点を四国の高松に移し、1年後には四国において業界トップに入るまで成長しました。

「日本電気通信」時代の貴重な写真

浜田:この頃の資料はあまり残っていませんでした。
ですが、当時の写真なら残っています。

T:社長、本当にお若いですね。
19歳で起業なんて、今考えてもすごいことです。

日本テレックス

次なる事業として社長は「テルミーシステム」というサービスを思いつきます。

これは固定電話への加入が高価であった時代に「月々2,000円で固定電話が引ける」という画期的なサービスでした。

そして1990年に拠点を再び大阪に移して、社名を「(株)日本テレックス」に変更しました。

次にこの「テルミーシステム」を携帯電話にも応用しました。

当時の携帯電話は高額で、一般の人は手が届かない物でしたが、これを「月々2,000円で誰でも持てるようになる」というサービスを展開しました。

このサービスが幅広く普及して、会社が大きく飛躍することになります。

浜田:ちなみに私が初めて携帯電話を持ったのも、今思えばこのサービスがきっかけでした。

T:本当に爆発的に普及したのですね。

浜田:そうです。携帯電話が一気に普及したのは、テルミーシステムの携帯電話への応用がきっかけでした。

ネクステル

次に、2000年に「(株)ネクステル」へと社名変更をしました。

携帯電話・衛星放送(スカパー・WOWOW)を初期費用無料で導入できるサービスを展開して、業績を飛躍的に伸ばします。

浜田:新しいデジタルツールに手が伸びないのは、やはり初期費用が高価だったから。ですが、初めに手に入る敷居をぐっと下げることで、デジタルツールを広く普及させることに成功しました。

便利で新しいサービスを普及させるには、きっかけづくりが大事です。
日本人の保守性を社長は見抜いていて、最初のハードルを下げて、まず手元にお届けする。
使っていただき、便利さを実感していただく。
広告やトークで説得するよりも、実感して納得していただくことが課題であると見抜いていたのです。

T:これも「テルミーシステム」の頃と考え方が通じていますね。

浜田:そうですね。現在まで続く、ビジネスモデルの根幹です。

このビジネスの一つの到達点として、X JAPANとのコラボ携帯や、フェラーリとのコラボ携帯が生まれました。

そして、この時に「株式上場」を大きな目標に掲げていたネクステルは、2000年に東証マザーズ(現 東証グロース)への上場が決定していました。

ところが、ITバブルが弾けたことにより、上場の2週間前に取り止めという事態に見舞われます。

そして、大きな挫折を経て、社名を新たに再スタートを切ることになります。

ネクシィーズ

同じく2000年に社名を「(株)ネクシィーズ」に変更します。

企業姿勢を表す「The next of XYZ」

T:この「The next of XYZ」の着想を得たきっかけを教えていただけますか?

浜田:社名を変更するに当たって、当時の社長室長がニューヨークに行っている時に、「XYZ」という名前のアパレルショップにピンと来て、「社長はネクステルの頃の『NEXT』は気に入っている、そこに『XYZ』を付けたらカッコいいのでは?」と思いつきました。

そのことを社長に報告すると、社長も「響きが良いし『ズ』で終わると、スポーツチームの名前のようで一体感がある」と気に入って、採用に至ったというわけです。

当時のネクシィーズの主力事業は、ソフトバンクが提供するブロードバンドサービス「Yahoo!BB」の営業でした。

インターネットの速度がこれまでの5倍、料金は8分の1になるという画期的なサービスです。

当時のソフトバンク(株) 孫 正義 社長から営業力と企画力を評価されたネクシィーズが、代理店としてこのサービスの普及に尽力しました。

ネクシィーズは2年間で137万件を普及させることに成功しました。
これは当時のNTT東日本と西日本を合せた規模に匹敵する件数でした。

そして雪辱を晴らす形で、2002年3月に大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場(現 ジャスダックジャパン)に上場。

ナスダック・ジャパン上場時の写真

さらに、2004年11月には東京証券取引所市場第一部(現 東証プライム)に上場を果たします。
近藤社長が37歳の時、当時の最年少創業社長となりました。

東証一部上場時の写真
当時の新聞広告

浜田:これが一部上場当時の新聞広告です。

T:こんなに大々的に広告を出したのですね!

浜田:そうです。上場広告は企業にとって一生に一回の事ですからね。
思い切って日経新聞・読売新聞の全国紙に掲載しました。

そして、このタイミングで「ネクシィーズ」のロゴを太めのフォントに変更しました。
更なる飛躍を意識した力強いロゴに生まれ変わりました。

ところが、ソフトバンクが「Yahoo! BB」の販売促進をストップ。
ネクシィーズは主たる事業を失うことになります。

年間株価「上昇率」2位を誇っていましたが、またたく間に「下落率」2位に転じてしまいます。

この挫折から代理店としてではなく、ネクシィーズ独自のサービスを作ることを目指し始めます。

そして、会社独自のサービスとして初めて開始されたのが「旅色」という電子雑誌です。

当時はiPadやKindleなどのタブレット端末が普及しておらず、電子雑誌というメディアの将来など何も見えていない中でのスタートでした。

2007年2月に総合的なエンタメコンテンツ運営のため、(株)ブランジスタを設立。

ブランジスタはその後も多彩なコンセプトの電子雑誌を次々と創刊して、業績を伸ばしていきました。

そして、2012年にはネクシィーズからも新たなサービスが生まれます。
サービス名は「ネクシィーズ・ゼロ」(現 ネクシーズZERO)といいます。

当時は白熱電球に替わりLED電球が開発されたばかりの頃です。
寿命が長く、消費電力も少ないことからLED電球は大きな注目を集めていました。

ですが、価格が高額であることから「100年に一度の明かりの革命」と言われる中、普及が進まない状況でした。

そこに目をつけ、初期投資ゼロでLED照明が導入できるエネルギー環境関連事業「ネクシィーズ・ゼロ事業」(現 エンベデッド・ファイナンス事業)を開始します。

高額な導入コストの負担が普及への大きなボトルネックとなっていましたが、金融機関とメーカーと提携した新たな仕組み「ネクシィーズ・ゼロ」は、設備導入の壁を壊し、環境問題にも貢献する、ネクシィーズ・お客様・環境がwin-win-winとなる画期的なサービスでした。

T:「エンベデッド・ファイナンス事業」もこれまでの事業と考え方は同じで、「初めにかかる負担を無くすことで、商品を広く普及させる」ということですね。

浜田:その通りです。今回はLEDをはじめとした省エネ商品を広く普及させたということです。

当初社員9名で開始されたこの事業の反響がとても大きく、LED電球の他に冷蔵庫や空調設備をはじめとした各種省エネ商品も幅広く取り扱うようになりました。

その後、2015年9月にグループ会社であるブランジスタも東京証券取引所マザーズへの株式上場を果たします。

ネクシィーズグループ

そして、2016年4月に「(株)ネクシィーズ」から「(株)ネクシィーズグループ」へと社名変更をしました。

多くのビジネスを包括する企業として、更なる発展を遂げることになります。

そして2024年1月…


NEXYZ.Group

弊社は「(株)ネクシィーズグループ」から英語表記である「(株)NEXYZ.Group」へと社名変更を行いました。

グローバルな展望と創業50年に向けた企業革新の覚悟を示すものです。

今後も更なる飛躍と挑戦を続けてまいります!

【終わりに】

浜田:以上で社名の歴史紹介を終わります。
長い時間、お疲れ様でした。

T:貴重なお話を有難うございました!
この機会が無いと知ることが出来ないお話を、沢山お伺いすることができました。山あり谷ありの日々を経て、今のNEXYZ.グループがあるのですね。

浜田:そうですね。私にとってはあっという間の年月でしたが、こうして振り返ると本当に色々なことがありました。
私もとても良い機会を頂きました。

ここまで読んでいただいた皆様、
誠に有難うございました!

多くの事業を経て歩んできた弊社の歴史を、
少しでも知っていただけたでしょうか?

この記事を見て弊社に興味を持っていただいた方は、
ぜひ下記リンクより説明会にご参加ください!


社員一同、心よりお待ちしております!


【25卒 マイナビ】

【25卒 リクナビ】


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